本日は自己紹介(シングルマザー後編)という事で、子宮頸癌退院後から現在までのざっくりとした経過です(‘ω’)ノ
時間も時間なので、ざっくりした内容でお届けします(笑)
- 退院から社会復帰
- 元夫の入院から退院
- 別居から離婚調停を経て現在
以上3本立てです。
退院から社会復帰
本来であればまだ入院していないといけない時期に、退院したのでまだまだ日常生活に戻るのは難しく…(;’∀’)
母も心配して、食事や家事は退院後もしてくれていました。
そのおかげで、とにかく日常生活を送れるようになるまではひたすら癌について調べまくってました(笑)
もちろん癌が見つかった時もかなり調べまくっていたので、今後の治療方法とか予後はどうなるのか…。
調べまくっていたせいか食事をとるのが怖くなり、しばらくは砂糖も取らないようにしていましたし、野菜スープとオートミールにたどり着くまでは、小麦系の物も避けていました。
だって、子ども達をまだまだ育てていかなくてはいけないし、頼りになるはずの元夫は全く頼りにできないし(;’∀’)
とにかく子どもたちが成人するまでは。とどれだけ健康に生きていけるか調べまくりました(笑)
お陰様で、手術を受けた6か月後にフルタイムの派遣を始めることができました。
後遺症のリンパ浮腫が心配だったので、とにかく短期の派遣。そして自宅から近くてフルタイム。
そこで、無事に働けたので、2か月後には転職。
結果、共済組合のコールセンターで、共済金の受付の窓口対応を2年間勤めました。
(コールセンターのお仕事、私は好きです( *´艸`))
子ども達もかなり私の体の事を気にかけてくれて、少しでも面白い話題を提供しようと、お笑いのYouTubeを見せてくれたり、家事も進んで手伝ってくれていました。
当時買っていた大型犬のワンコのお散歩も、しばらくはついてきてくれたり。
子どもたちの助けもとても大きかったと思います。
もちろん退院後すぐに、入院中に子ども達への暴言について元夫に聞きましたが、
「覚えていないし、子ども達が大好きなのに言うはずがない。」
「覚えてないのだから、治しようがない。」
これだけでした。
子どもたちがそんな嘘をつく必要もないことになかなか気付けず、改めようともしない姿勢にがっかりしたのを今でもよく覚えています。
元夫の入院から退院
社会復帰をしてやっと慣れてきたころ、お仕事がお休みだった土曜日。
元夫から「体調が悪くて、背中が痛くて動けない。」と連絡があり、早々に受診するように話し受診した病院から電話が入ました。
内容は
急性大動脈解離なので、緊急で入院するとのこと。
慌てて病院に行きお医者様から今後の治療方法を伺い、元夫の実家に連絡し…。
それはそれはバタバタしましたが、2週間近くの入院中も子ども達は落ち着いたものでいつも通りに過ごしてくれていました。
そして、入院した翌日、元夫宛ての郵便物が届き、大切な物であれば早々に伝えた方が。そんな思いから開封して写真を撮りLINEで送ろうとしたところ、
クレジットカードでのリボ払い発見。
しかも1社でなく何社も。
LINEで問いただしても、最初ははぐらかし、誤魔化し、最終的には具合が悪いからと先延ばしにされました。
とはいえ入院中。しかも今後今まで通りの生活に戻れるかどうかもわからない。
にも拘わらずリボ払い抱えて、三人の子どもに大型犬。
速攻で、私の癌保険から出た給付金と今まで貯金していたものから返済しました。
そして子どもたちに知らない間に借金こさえてたと相談。
(基本我が家は何でも話します。小さい時からどんなことも、子どもたちが分かるような言葉で必ず伝えるようにしていました。勿論今もです。)
すると、私が退院してからも、元夫から暴言があったと初めてその時聞かされました。
私がワンコのお散歩に行っている時に言われたそうで、とても怖かったと話してくれました。
「どうしてその時に話してくれなかったの?」と聞くと、
私の体調を気遣って言わないでいたようです。
その時の事を思い出すと今でも、言葉にしがたくて、ただただ胸が痛くなります。
別居から離婚調停を経て現在
私は常々「借金は嫌い」と元夫にも子ども達にも話していました。
カードローンとかのCMが流れるたびに言っていたくらい話してました(笑)
だって本当に嫌いなんだもん(;’∀’)
にも関わらずリボ払い。しかも数か月ではなく数年単位。
子どもたちと今後どうしたいか話し合い、子ども達の想いに添うようにしようと決めていたので、事実を話委ねたところ、「離婚してほしい。」と一言。
思わず聞き直しましたが、答えは変わらず。
離婚すると
収入も減ること。
住んでいた家も引っ越さなければならなくなる可能性があること。
ありとあらゆる可能性は話しましたが、子ども達からすると、
暴言をいう父親。
なおかつ嘘つきで、借金を作ってくる父親。
恐くて一緒に住めない。
そんな気持ちで答えを出したようです。
そうなれば、方向性は定まったので、元夫が退院して社会復帰する日を待ち、その日に家族で話し合いをしました。
そしてその日のうちに、元夫は実家へ行き別居生活が始まりました。
結果、その日が家族5人がそろった最後の日となりました。
別居から約半年。
離婚調停3回目?4回目だたかな?で調停離婚成立。
そして現在にいたります。
別居中や離婚調停中の話は、楽天ブログの記事に書いましたが、現在はnoteに全部移行してあるので、こちらの記事を少しずつ載せようと思っております(‘ω’)ノ
文章で書くと、かなり重いんですよね(笑)内容が(;’∀’)。
とはいえ、私たち親子は大変だったけど毎日笑ったり、笑いすぎて泣いてたり、嫌なことがあったときは話してすっきりしていたり、賑やかに生活してきました。
な正直なところ私が癌に罹患する前。
それこそ5年以上前から、元夫とは会話を普通にしていましたが私の中では一線引いていたので、離婚後の生活の方が大変だけれども幸せだと胸を張って言えます(笑)。張るところじゃないんですけどね(笑)
そんな感じで、本日は自己紹介(シングルマザー後編)をお届けいたしました(‘ω’)ノ
では、今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。